−お茶の色から生まれた茶色たち−
江戸時代、御茶師の中で最高の位である「御物御茶師(ごもつごもつおちゃし)」 として幕府や諸国大名の庇護を受けてきた上林春松家。その上林家が取り仕切っていた『お茶壷道中』は「ずいずいずっころばし」という歌が誕生するほど、 民衆の生活に大きな影響を与える一大行事でした。 その影響からか、お茶由来の「○○茶」という色名が数多く誕生し「粋」の文化と共に流行しました。その色は現代まで引き継がれ、数ある茶色の中から民衆のあこがれだった歌舞伎役者の名前を冠し、 今でも愛されている役者色をセレクトしました。

【芝翫茶色(しかんちゃいろ)】
江戸後期の大阪の花形役者、三代目「中村歌右衛門(俳名:芝翫)」が好んだ色として当時大流行しました。芝翫は幅広い芸風から希代の名役者として知られていましたが、小柄で平凡な容姿であったために「歌舞伎通好み」とも評されていました。芝翫茶もまた通好みの色として京阪で人気を博しました。

【団十郎茶色(だんじゅうろうちゃいろ)】
「市川團十郎」が代々用いた成田屋の茶色のことで、赤みのうすい茶色です。荒事の芸を確立した五代目市川團十郎が『暫』でこの柿色の素襖をまとってからは「團十郎茶」とも呼ばれるようになったと言われており、現代でも襲名披露の口上などで団十郎がこの色の裃をつけることでも知られています。

【路考茶色(ろこうちゃいろ)】
二代目「瀬川菊之丞」を襲名した通称「王子路考」が愛用したことからその名が付けられた染め色です。この色の人気は桁外れで、江戸中の女性がこぞって真似をしたといい、代々の路考の人気とともに七十余年にわたって流行色のトップに位置づけられました。当時の染色記事や浮世絵美人の衣裳に多く見られ、その流行ぶりがうかがえます。

【梅幸茶色(ばいこうちゃいろ)】
大立者だった初代「尾上菊五郎(俳名:梅幸)」の好みの色ということから命名された色名です。彼の衣装は華やかで舞台も賑やかだったようです。当時は浅葱色が全盛でしたがそれと全く違った萌黄色を打ち出したのは、個性を強調するためだったのでしょう。梅幸茶は通人の贔屓客の間で喜ばれ、天保の頃まで流行したそうです。

【岩井茶色(いわいちゃいろ)】
江戸後期、町人社会に取材した生世話物を当たり役として大活躍した五世「岩井半四郎」が愛用したことによる流行色です。目千両と呼ばれるほどの眼差しとおちょぼ口が魅力的で、しかも容姿抜群、愛嬌もたっぷりという三拍子揃った五代目は、すぐに江戸一の人気役者。愛用した岩井茶は江戸の女性の間で大評判となりました。


◇セット内容:朝顔形煎茶碗 5客入
◇色:芝翫茶色、団十郎茶色、路考茶色、梅幸茶色、岩井茶色
◇サイズ:口径82×高さ51mm
◇価格:14,850円(税込)

参考サイト:「伝統色のいろは ®」 https://irocore.com
参考図書:『日本の伝統色 配色とかさねの事典』ナツメ社